私がICUで勤務していた時のおはなし。
今となっては、どの患者さんがどんな病気でどんな最期を迎えたかは、ほとんど記憶にありません。
記憶にある患者さんはごく数名だけです。
とにかくよく記憶している看護師もいますが、私には到底真似できない。
冷たい看護師ですね。
「もしかしたら、心が潰れないように無意識にそうしてるのかもしれない。」
いつしか、そんなふうに自分を肯定的にとらえました。
「あぁ・・・私の勤務中かな」
もう治療でどうにかなることも期待できない患者さんに対し、飾ることない心の中の私のつぶやきはいつもこんな感じでした。
いつだっただろう。
新人看護師が受け持っていた患者さんが死亡退院をしました。
どこか弱々しい印象だった彼女は、死亡退院した患者さんに対して、黙々とエンゼルケアをしていました。
・・・どこか割り切った顔をして。
お見送りをして少し時間ができた時、彼女が私に呟きました。
「わかりません」
何が?
「どういう気持ちで死亡退院を対応すればいいんですか?わかりません」
どういう・・・?
「この前は泣いてしまったんです。そしたら先輩に怒られました。プロなんだから泣くな、って。坦々と対応しなさい、って。」
・・・・そうか。
「今日は泣きませんでした。それがプロですよね。」
そうは思わない。
プロはそうじゃない。
君が受け持ってきた患者さんが、命を終えてしまうときに、君に泣いてほしいと思う人だと君がアセスメントしたなら、泣けばいい。
淡々と死亡退院の手続きを進めてほしい人だとアセスメントしたなら、涙は流してはいけない。
家族が共に涙してほしいと願うなら泣けば良い。
泣くことが良いか悪いか、ではない。
涙を流すことは、患者さんにとって、ご家族にとって必要かどうかで考えるべきだよ。
君が泣きたいか、泣きたくないか、泣くことが良いことなのか、悪いことなのか、じゃないと思うよ。
とある深夜勤務中。
高齢の女性患者さんが死亡退院となった。
枕元には多くのご家族が見守っていた。
ずっと大きな声でみんなが声をかけ続けていた。
それは感謝や、今の気持ちや、これからのことなど、皆口々に声をかけていた。
「この患者さんは愛されていたんだな」
そんなことを思いながら、ご家族が納得するのを待った。
1人の中年男性が遅れてICUに入室された。
間に合わなかったんだな、と思いながらなんとなく眺めていた。
その男性を皆が待っていたとばかりに道を開け、枕元に迎え入れた。
「・・・・おふくろ。」
たった一言しか呟かず、男性は母親のおでこを撫でた。
皆が静かになった。
すなわち、ご家族皆が納得した瞬間だった。
ただ、私が動けなかった。
涙が止まらないからだ。
堪えることのできない涙がある。
その時は自分に素直になることも大事かもしれない。
生まれること、死ぬことは人生で一度しかない。
その現場に立ち会える仕事が看護師だもの。
その神秘に触れる瞬間をコントロールしようとすることは、おこがましいのかもしれない。
一体、プロとはなんだろうか。
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