毎年、とある3年制の看護専門学校へ講師で授業に行っています。
主に2年生を担当しています。
2020年はオンライン授業かもしれない、そんなふうに聞いていました。
とはいえ、秋には授業ができる状況だったので、普通に講師に行ったんですよ。
すると、2年生みんな口を揃えて言うわけですよ。
来年はコロナどうなってんだ
先輩みたいになりたくない
どう言うこと?
聞いてハッとさせられました。
学内実習ばっかりで恐ろしい
そうか、普通に実習に行けないんだ・・・・
改めて気がつきました。
たまたま昨年の生徒さんに会えたので「どう?」と聞きました。すると・・・
私たちは一生、コロナの時の学生だから、って言われるんですよね
お・・・おう。
そんなに後ろめたいことなのか?そう思っていると、案外色々見えてきました。
と言うことで、今回は「コロナ禍の看護学生はどうなのか?」と言う、あくまでも予想のお話。
臨床実習に行けなかった、という負い目
この理由が一番大きいみたいですね。
「私は臨床に出て、やっていけるのか・・・」
まず結論から言いましょう。
絶対大丈夫っ!!!
はい、おしまいっ!!!
と、勢いだけで言うのもなんなんで、一応説明を。
そりゃ、体験しとくに越したことはないですからね。
いつものように、毎年のように、例年のように、覚悟していたように。
そして、それは学生にとっても、病院側にとっても、どちらにとっても。
だから、そこじゃないんですよ、論点は。
どうしようもないことを嘆いても仕方ない、ってことですよ。
どうしようもなかったんだもん。
仕方ないじゃない。
それに、臨床実習行けば仕事ができたかどうかなんて、先輩見てりゃわかるでしょ。
うまく行く人もいれば、全然ダメな人もいる。
そんなもんですよ、いざ仕事となれば。シンプルなもんでしょ?
実習と仕事は全然違う。
それと同じように、臨時実習と学内実習も全然違う。
ましてやコロナ禍の学内実習は誰もは初めてだもの。
色んな意味で比較なんかできない。
そこでしか体験できないものがある。
そこでしか学べないものがある。
そこをわかっていなければ、いつでもその「言い訳」とい名の免罪符に逃げることになるよ?
いいんです。
臨床実習を経験してなくても。
胸を張るべきですよ。
誰もは未開拓なことを経験したのだから。
それは、今すぐじゃないかもしれないけど、いつか必ず花が咲くから。
君たちは、カリキュラムを正しく終え、クリアしてプロの看護師になるのです。
臨床実習しなかった、と、できなかった、では全く違いますから。
雨の日にを晴れだったら、、、といつまでも言い続けることと同じです。
どうしようもないことを悔やんでも恨んでも仕方ない。
雨の中で踊れる人の方が楽しそうでしょ?
臨床実習を受けてこなかった新人を受ける側の気持ち
では、病院側はどうか。
私が言ったようなポジティブな考え方は現在少ないと思います。
要するに、すんごいビビってる、と思われます。
なんせ、今から初めての事が巻き起こるわけですからね。
毎年恒例の、慣例の、いつもの、あんな感じの、こんな反応の・・・
それが正しいのか、成功なのか、間違えてるのか、全くわからない。
インシデントもアクシデントも、予想がつかないことが巻き起こるかもしれない。
運営側としても、新人看護師に対しても、びっくりするような事が巻き起こるかもしれない。
そんな、未知の経験を今から迎えるわけなので、そりゃービビりますよね。
しかし、特に教育担当の看護師さんたちもそんなこと言ってられない。
その点、新人看護師さんは初めての経験なので開き直っちゃいましょう。
新人看護師からすりゃー、前回も、前年度も、慣例も、恒例も、いつものだろうがなんだろうがわからないですからね。
どっちかって言えば、ワクワクしてオリエンテーションを受けましょう。
強いて言えば「(運営側が)初めての事だからごめんね」と全然うまく進んでないとしたら、その組織はイケテナイかもしれませんね。
もうコロナ禍も1年です。
準備期間もあったでしょうから。
コロナ禍を駆け抜けた学生が1年生看護師としてやってくるのはわかっていたはずです。
そんな冷静な目で組織を見つめてみましょう。
コロナ禍で教育を受けてきたあなた方だからこそ、そのモノサシがあるはずです。
臨床実習が無いことで1つだけ決定的に足りない事
ズバリ、1つの点だけの差だけ、と予想します。
この点が案外クセモノかも知れませんが、たった1つだけでしょう。きっと。
それは「緊張感」。
これだけです。
いずれ書こうと思いますが、「実習なんて怖くない」と言う持論があります。
だって、学生に責任ないですからね。
学生は勉強して記録書いてりゃいいんだから(極論だけどね)。
私が学生の時は、実習で膀胱洗浄などの清潔操作バッキバキにしてましたよ。
閑話休題。
すなわち、病院という建物で、詰所という空間で、教員ではない臨床の看護師に囲まれ、リアルな患者さんを接する、という「緊張感」は確かにかけがえのない体験です。
そこである程度、鍛えられたり、篩(ふるい)にかけられたりするものです。
やっぱり学内実習では、元々の人間関係がある教員が患者さん役をしてくれても「緊張感」が足りない。
学内の実習室でいくらみんなの前でどんなことをしても、クラスメイトの前で発表しても、臨床での「緊張感」とは違う。
そこは覚悟しておいた方がいい。
現場は残酷だよ。
そう。どうしようもないことだから。
コロナ禍で仕方なかった事だから。
だから、そんなことはどうだっていい。
そんなこと、言い訳にする必要なんかない。
ただ、残酷にも君たちを襲うものもある。
それは「緊張感」。
この経験は臨床実習を経験している人たちでも耐えられないことがある。
逆に、臨床実習を経験しているのに決定的に緊張感がかけてる人もいる。
要するに、座学やバーチャルで得るものの限界がここにあるような気がする。
そこにピットフォールがあると私は思っています。
じゃぁ、結局どうすんだよ?
ま、結局「でもやるんだよ!(根本敬)」の精神で進むしかないんですよね。
実習なんか、臨床でも学内でも、この際どうでもいいんですよ。
看護師になったんだもの。
正規のカリキュラムをクリアして看護師になったんだもの。
どんな時代に、どんな過程で、どんなプライベートで、どんな病院に勤めても、そこに患者さんがいるならば、君たちは看護師として働くんだよ。
色々言われることもあるだろう。
変な価値観で、おかしなレッテルで、間違えた色眼鏡で評価してくる先輩もいるだろう。
ある意味、それもコロナの怖さかもしれない。
2020年卒の看護師はコロナ禍第1号の看護師だ。
そして2021年有資格者となった看護師入職を受ける看護部も初の試みだ。
パイオニアは選ばれた人にしか課せられない。
見えない敵と闘ってきた君たちだもの。
病気という見えない敵と闘っている患者さんを全く違う目線で看護できるかもしれない。
今からワクワクするな。
がんばれ。
ようこそ、看護師の世界へ。
おまけ
我々医療者がいつもお世話になっている「⼤塚製薬株式会社」の「カロリーメイト」のCM『⾒えないもの』篇見ましたか?
「⾒えないものと闘った⼀年は、⾒えないものに⽀えられた⼀年だと思う」というメッセージ。
⽣徒役は加藤清史郎さん、先⽣役は東京03の飯塚悟志さん。
もう、ね。素晴らしいの一言。
楽曲の森⼭直太朗さんの名曲「さくら」合唱バージョンもね、もう泣ける。
もう、ね・・・。素晴らしいなぁ、このCM。
「看護学生バージョンがあってもいいのにな」と思うけど、高校生というシュチュエーションがわかりやすいだけで、2020年に卒業した学生さんはみんな涙なしでは観れないと思う!
同じ大塚製薬のポカリスエットCMの「青春!!」っていう感じも大好きだけど、この「見えないもの」篇は極上の逸品です。
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