ズバリ結論から言いましょう!
みる人はみる!
みない人はみない!
私はみない!
ただ「今見えてる、ほら!!」といいう看護師をそばで見たことがある!
なんなら「あそこからおばけが出てくるからなんとかしてくれ!」と患者さんからナースコールを受けたことがある!
そんなお話っ!
おばけがいないと考えたことがなかった
なぜなら、生まれた時から「おばけはいる」ものだと育ったからだ!
なぜなら、母親が霊体質だからだっ!
なんなら、母親が乗り移られた瞬間さえ見たことがあるからだっっ!!(オカンが言い張るのでマジなんでしょう!)。
ええ、世の中の常識は理解していましたよ。
なので、友達にも話しませんでした。
「俺のオカンはやばいのかもしれん」
笑い話で治らないネタだと判断し大人になるまで封印していました。
私が子供の時は夕飯時のTV番組は「宜保愛子」全盛期。
毎回欠かさず震えて視聴していました。
それに共鳴する母親。
お昼は「あなたの知らない世界」を自らの意思でコンプリート鑑賞。
怖いもの見たさで、釘付けで視聴していました。
今思えばTVが刺激的な時代でした。
本屋に行けば心霊写真特集を買い、震えて読み、怖くなって田んぼに投げ捨て、チャリ爆走して帰る(すいません)少年期でした。
友達も世間も「存在しないだろうけど不思議なことってあるんだよな!」という視点だとわかっていましたが、いかんせん私の母親は見えちゃうんだから「そういう体験をしてしまう人がいるのは間違いないからマジなのかもしれない」と思いながら私は大人になりました。
なので、病院に勤め出して死亡退院があっても、そういう意味で全く怖くありませんでした。
私は全く病院が怖くなかった
だって、病院なんてどこに行っても人がいるわけですよ。だいたいのところに。
確かに薄気味悪い場所はあるけど、命のやり取りをする場所なのだから、そりゃ普通の場所と違うよな、という覚悟を私は自然と持っていました。
しかも、私は見たことないが母は見えちゃうんだから、「そんなことがあっても」驚かない自信もなんとなくある。
そんな病院で働き出した若かりし頃、熱中して読んでいたジャンルがあります。
「心霊」「UFO」「宗教」「ノストラダムス」
「勉強せぇや!!」と自ら突っ込みますが、その手の本ばかり貪るように読んでいました。
そうするともちろん「ちゃんとした」勉強なんてほとんどしていませんでしたので、そりゃぁもうバキバキの問題児(問題看護師というべきか)でした。さーせん!!
その「ジャンル」を好んだのは母親の影響がもちろん大きいのですが、何よりも解釈の仕方を変えてくれた作家と出会ったのが大きかった。
その作家とは「大槻ケンヂ」。
そう、筋肉少女帯の大槻ケンヂさんの本が大好きで何度も何度も読み返していました。
いやだから、勉強しろよ、俺。
で、大槻ケンヂさんからは、その手のジャンルは「一粒で2度美味しい!」ことを学びました。
最初は「ええ!?そんなことあるの??」と素直に受け驚いてみる。
その後、色々な検証の結果「なんだ、嘘なのか」と、例えば判明したとします。
そうすると「なんでこの人はそんなことを言った(見えた)んだろう」と、そこにこそ摩訶不思議な感情が芽生え、興味がさらに湧く。
そんなふうに「物事を斜めから見る」ことを教えてくれたのが大槻ケンヂさんの著書でした。
その影響をもろに受けて、母親の霊体験エピソードも斜めから見るようになり、そりゃーもー毎日ひとりアセスメントの繰り返しでしたよ。
そんな中、言われたわけですよ。
「なぁ、あの部屋でばっかり死亡退院多いやろ。」
「あぁ、そうですね(無関心)」
「・・・あの部屋、霊道やねん」
「んぁ?(一気に興味津々)」
「ここは霊道やねん」
いや、もう20年近く前の話です。
その当時を振り返るために「看護婦」と言わせてください。
そのベテラン看護婦さんは、20代前半の私を息子のように可愛がってくれていました。
出来が悪かったことも含めて可愛がってくれたような気が、今だからそんな気もします。
その看護婦さんが突然オムツ交換しているときに、ごく自然に言い放ったんですよ。
「ここは霊道やねん」
いや、急やな!
意味わからん。
だけど・・・・面白い。
記憶も曖昧で断片的ですが、決してその部屋で突然死が多かったわけではありません。
記憶が確かなら、慢性期のご高齢の患者さんがその部屋で最期を迎えるのがとにかく多かったんですよね。
いまだに部屋番号だけはしっかり覚えています。
人間とは不思議なもので「またあの部屋」という認識になっていくものです。
どんなに看護をして経過を見ていても、そう思ってしまうものは思ってしまう。
そのベテラン看護婦さんと夜勤していたら、なにげに振り返って言うんですよ。
「あ、今通ったで」
「さっき、あの部屋に誰か入ったで」
2人で夜中にカルテを書いている時に、ごく自然に毎回言うんですよね。
怖がる、とかではなく、当たり前のように。
ただ、いいのか悪いのか私には「耐性」がありますので
「おー、アンテナビンビンっすね」
みたいな感じで受け流していましたけどね!
で、ですよ。
その霊道がある部屋に1泊入院の患者さんが入ることも多々ありました。
要するに、その部屋は「回転」が良いわけですよ。
そこで少なからず私は何度か、もちろん違う患者さんから夜中にナースコールを受けています。
「(カーテンの上を指差し)あそこから顔が出てくるからなんとかしてくれ!」
「誰かが見てる気がするんですけど・・・あの辺から(カーテンの上を指差し)」
「とにかく気持ち悪いんですけど(カーテンの上を見ながら)」
これは怖かった!!
マジかぁぁぁ!!
けど、顔に出せない!
そんなことバレたらやばい!
霊道が通ってるなんて!(もはや私的に事実になりつつあった!)
なので・・・
「入院されていると、無意識にそういう刷り込みがあって、夢を見てびっくりされる患者さん結構おられますからねっ!(強引だと分かっている)」
と返答するも「顔があそこにある!」と豪語する患者さんに至っては何度もナースコールがあり、
「いや、ほんとに君には見えない?嘘やろ(怒)」
指差すところは、いつも同じカーテンレールの上。
その時は段ボールを指示通りに貼り付けて
「とにかく顔が覗き込まないようにしてくれ!気が狂う!そう、そこに!」
と対応したのは忘れられません。
あの部屋、今どうなってんのかぁ・・・。
と、そんな極端な経験をした私ですが、この仕事長くしていると、案外「これはマジなんだな」と思うことがあります。
多くの看護師も口にすることです。
「あ、もうすぐ亡くなられる」・・・なんとなくわかる時があります。
医学的知見を持たずとも、看護的観点から判断せずとも、ある共通の現象がその時はあります。
それは誰が名付けたのか「死臭」。
確かに「死臭」というものがわかる・・・
病院生活が長くとも、おばけを見た見ないを真剣に議論することはあまりないと思います。
公式に心霊現象を肯定的に否定的に論じることはまず看護界ではないでしょう。
スピリチュアルと言葉を変えれば、一気に看護界でも大切なジャンルに変身しますが。
ただ、死臭という、言葉にしにくい、なんとも言えないある特定の臭いがあります。
なんなんだろう、あれは。
本当に匂っているのか、と言われれば断言しづらい。
あれはなんニオイだろう。
だけど、最期を看取る経験のある看護師はおそらく一度は経験していると思うし、否定しないでしょう。
「あれは死臭だ。」
「あの人からは死臭がしている。」
勉強では知ることができない、臨床というリアルでしか体験できない代表的な一つです。
視覚的な情報も影響しているのかもしれない。
おばけを見ない看護師も、信じない看護師も、死臭はなんとなく信じている看護師が多いと思います。
診て、触って、匂って、聴いて、味覚すら生かして、五感をフルに使って仕事をするのが看護師です。
ですが、この第六感すらも使って仕事をしている事実は看護師なら共感してくれるはずです。
皆さんにもそんな経験、ありませんか??
コメント